青銅の特徴と日本伝来後の歴史

青銅の特徴と日本伝来後の歴史
青銅(せいどう、bronze[ブロンズ])とは、銅を主成分として錫(スズ)を含む合金です。

「砲金」(ほうきん)ともいいます。

十円硬貨(銅95%、スズ1~2%、亜鉛4~3%の青銅製)
▲十円硬貨(銅95%、スズ1~2%、亜鉛4~3%の青銅製)

砲金の製品
▲砲金の製品

一般にいう青銅色は彩度の低い緑色ですが、本来の青銅は光沢ある金属で、その色は添加物の量によって黄金色など様々です。

添加する錫の量が少なければ日本の十円硬貨にみられるような純銅に近い赤銅色、多くなると次第に黄色味を増して黄金色となり、ある一定量以上の添加では白銀色となります。

そのため、古代の銅鏡は錫の添加量の多い白銀色の青銅を素材とするものが多く、日本語の「白銅」の語も元来はその白銀色の青銅を指していました。

硬度は錫の添加量が多いほど上がりますが、それに伴ってもろくもなるので、青銅器時代の青銅製の刀剣は黄金色程度の色彩の青銅が多く使われています。

また、中世・近世の銅鏡はもろい白銀色の青銅ではなく強靭な赤銅色の青銅で鋳造し、水銀で磨いたうえでアマルガムを生成させ、鏡面とする方法が主体になっています。

しかし、青銅は大気中で徐々に酸化されて表面に炭酸塩を生じながら緑青となります。

そのため、年月を経た青銅器はくすんだ青緑色(前述の青銅色)になります。

しかし、本来の青銅は前述の通り黄金色や白銀色の金属光沢を呈します。

その見た目から、古代において金銀に準じる金属として利用された面があると考えられます。

例として、先述のように銅鏡の反射面は白銀色に輝いていたうえ、弥生時代の国産鏡には錫の含有量を下げて黄金色に鋳造し、太陽を模したのではないかと考えられるものがあります。

現在では、青銅製の芸術作品の多くはアンモニア塗布などの方法で酸化皮膜を形成して着色されることが多いですが、コンスタンティン・ブランクーシのように磨き上げて黄金色の金属光沢の作品仕上げをする芸術家もいます。

一般に銅は採掘可能な量が少なく、硬さと強度では鉄に劣ります。

沸点と硬度はほぼ比例しているゆえに硬くないものの、その一方で加工性に優れ、鉄より錆びにくいです。

古代中国では、硬いが脆く展延性に劣る鋳鉄を「悪金」と呼ぶのに対し、加工性と耐久性と実用性のバランスに優れた青銅を「吉金」「美金」と称しました。

ブロンズ像
▲ブロンズ像

青銅色
▲青銅色

日本には、紀元前4世紀頃、鉄とともに九州へ伝わりました。

青銅も鉄も最初は輸入されていましたが、青銅は、紀元前1世紀頃、国内での生産が始まりました。

鉄の国内での生産(製鉄)は紀元後5世紀頃だと推測されています。

2世紀には大型銅鐸(どうたく)が作られ、技術は東アジアでもかなり高い水準に達していました。

日本の場合は実用の道具としては鉄製品が主に用いられ、青銅製品は祭器が中心でした。

戦国時代後期から江戸時代初期にかけて、大砲の技術が伝来し、日本でも青銅砲が製造されることとなります。

西洋で青銅砲から鉄製砲に移行した時期は、ちょうど鎖国が破られた時期に該当するため、青銅砲は鎖国下の日本における技術の停滞の象徴的存在となりました。
(鉄製砲を製作するための反射炉が、開国による技術革新の象徴となりました。)

袈裟襷文銅鐸(静岡県出土、パリのギメ美術館蔵)
▲袈裟襷文銅鐸(静岡県出土、パリのギメ美術館蔵)

鏡(ミラー)の色は、クリアーブロンズグレーより お選びいただけます。
鏡(ミラー)

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参考文献(wikipedia);
青銅(せいどう)
https://bit.ly/3dQtkVr
砲金(ほうきん)
https://bit.ly/35ar47n
コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957)
https://bit.ly/35gsxsI
銅鐸(どうたく)
https://bit.ly/34b9v7N
ギメ美術館
https://bit.ly/2Hj8ZeS